Atelier Arika
(The history of me about the computer.)
「こんな感じでパソコンに接してきましたみたいな奴」
某所で、パソコン履歴のような物を見たら、なかなかに興味深い。私も作りたくなった。
ファミコンがはやった時期だ。私は小学校四年か五年か。このころ、私の時間の感覚って、すごいあやふや。 時間の感覚があやふやなのは、社会人になってからもしばらく続いた。「去年の今頃」とか、全然わかんない。 意識していなかったんだけれど、どうやらみんなは「時間」は無意識のうちに「軸」になっているらしい。 超整理法とかあるしな。のーてんきなだけかも。
まわりでファミコンはやっているじゃない。欲しいわけ。親にせがむよね、普通。
で、いつの間にか家にあったのはCF-1200だ。「こっちの方が役に立つ」と言われた気がしないでもない。
ほぼ90%ゲームマシンとして使っていたパソコンなのだが、MSX-BASIC Version1.0というものが搭載されており(Microsoftだ)、 家族みんなであぁでもないこぉでもないとか言いながら、雑誌のサンプルを入力していたように思う。 とはいうものの、プログラムを打ち込んだのは兄と父がほとんどで、私は見ているだけだった。
ゲームでキーボードになれてきた頃、BASICプログラムに興味を持って作り始めたのはこのころだ。
モニタは、普通の家庭用TVで、記録媒体はカセットテープだったんだよな。
中学にはいるか入らないかって時だったと思う。こんな要になることすら、時間の感覚あやふやなのな、私。
親の都合によりPC-9801UV2購入。3.5インチフロッピーというものに初めてふれた。画面がやたら綺麗で、 フロッピーはやたら早くて、N88日本語BASIC(86)Ver3.1(DiskBASIC)とMSX-BASIC Ver1で、同じforループのプログラムを 走らせて見比べて、感動していた覚えがある。
ってゆーかさ、性能的に飛びすぎたんだよ。ふつーPC-6001とかPC-8801とかが、間に有るんだ。まぁいいか。
一太郎だのMS-DOS(Ver3.0)だのランダムアクセス(笑)だのに触れたのはこのころからだ。
それでもやはり、80%はゲームマシン状態だった。
中学入学してから、複数の友人宅でMSX2を目撃。なにやらFDDもついている。でももうPC-9801UV2使ってたし興味なかった。
あと、転校してきた人と友人になり、その人はPC-8801なんちゃらを使っていた。同じようなN88BASICが使えた記憶がある。
そうそう、このころからのBASICプログラムのテクニックは、未だに役に立ったりするから恐ろしい。
専用モニタで、記録媒体はFD。PC-9801UV2は、かなり長くつきあうことになる。
(PC-9801UV2の4096色中16表示VRAM2画面分っていうのは長らくPC-9800ゲームの標準となっていたために、苦労がなかっただけのことだ)
一太郎とのつきあいは未だに続くな。バージョンが違うが。中学の選択教科で文芸を選択、小説を書こうとして失敗(駄作)。
確か、高校にあったマシンがif800Model30/50だ。ほとんど30使ってたな。
初めて8インチフロッピーを使う。初めて使うグリーンディスプレイ。昔のパソコンは、 表示色が選べないのだと言うことを初めて知った。でもさ、Model50はカラーだったんだ。8色だけれど。
このパソコンではO-BASICというのがあった。OSはCP/M。懐かしいな、LOCATE文のXとYの指定の順序が 逆なんだよな、N88BASICと。
高校在学中に高校のパソコン更新。if800RXだったかなんだったか機種名忘れた。5インチフロッピーになった。 あと、ホストコンピュータ(名前忘れた)があり、それとつながっているときにはC言語やFORTRAN言語が使えた。 高校で勉強したのはO-BASIC、FORTRAN、C、COBOL。CASL(笑)。あと、図書室で独学でPASCAL。なんでこれをもっと 使わないのだろうと不思議に思っていた。Cよりも覚えやすくてさ。
実際に実行したのはO-BASICとFORTRAN。新しい方のコンピュータにもO-BASICがあった。
一、二年の時は部活はコンピュータシステムクラブ。そして家に帰ると、PC-9801UV2で遊んでいた。 N88日本語BASIC(86)ver6.1(DiskBASIC)とN88日本語BASIC(86)ver6.1(MS-DOS)を使っていた。と、思う。
三年になってからは生徒会活動に入り(広報/書記)、のんべんだらりと過ごす(ぉぃ)。 新聞作るの好きでさ。生徒会広報とか学級新聞(ってこれは持ち回りだが)とか作って喜んでいた。
山形から、就職と同時に千葉へ。
会社の寮に住む。当初、二人部屋であまり物を置こうという気にはならなかった。
そのうち一人部屋になり、最初は実家に置いてきたPC-9801UV2だが、 兄との壮絶な奪い合い(嘘)の後、千葉に無理矢理持ってくる(っていうか送らせたんだけれど)。 それでも、PC-9821As/U2を買うと、用済みとばかりに実家に送り返していたりする。
PC-9821As/U2。ディスプレイは奮発して17インチ
(NEC PC-KM171。一時期調子が悪くなりかけたが、未だ(1999年8月現在)に使えていたりする)。
ハードディスクの付いていないモデルだったので、
IDEの340MHDDを購入してつっこむ。
V30-10MHz(PC-9801UV2)から486SX-66MHz(だったっけ?)486SX-33MHz(では?との指摘を受けました。そうかも)の差はすごく心に残っている。
おもわず、FORループのプログラムをN88BASICでつくり、両方で実行したほどだ(私自身に進歩はないらしい)。
OSはMS-DOSVer5、後にVer6も購入。
ってゆーかさ、性能的に飛びすぎなんだよ。普通はさ、PC-9801RXとかDXとか・・・まぁいいけれど。
ハードディスクを手にしたのも、初めてだった。
パソコン通信という言葉を覚え、モデムなる物を求めていたように思う。そして購入したのは AIWA PV-BF144。アイワのモデムはPV-AとPV-Bで評価が分かれていた。Aのひとは「駄目駄目」といい、Bのひとは つながるという。とりあえず、ちゃんとつながっていた。14400bps。知っているBBSネットなど無かったので、 雑誌から拾い出して、東京のとあるネットへ。つぎつぎに開拓し、電話代爆発。誰でも経験することらしい(笑)。 最初はWTERMを使っていた。そのうちWindows3.1を使い始め、KTX on Windowsへ。通信ソフトがWindows版で、 OFF書きツールがDOS版という、まわりから見ると「?」な使い方をしていた。OFF書きツールは頻繁に変わっていた。
草の根ネット(BBS)は、実家に帰ったときにもPC-9801UV2を使ってやっていた。わざわざそのためにFD上に通信環境作ってさ。
ゲームマシン度(笑)50%を割り込む。使用目的が変わってきた。コミュニケーションの道具として。
Windows3.1でいろいろ遊んでいた。Delphi1.0も買ったな。一太郎5もか。一太郎は毎年買うことになる。
PC-9821As3/U2を買ったのはこの年だったか・・・・記憶が怪しい。Asのメモリ上限に見切りをつけて より上限の高いAs3を買ったように思う。本体だけを買い換えて、ディスプレイやハードディスクは流用。 深く考えてはいなかったが、As3は長く使うことになる。
相変わらずくだらないプログラムを作って喜んだりしていた。
アイコンづくりにもはまっていたな。
As3はもともとはライトバックエンハンスド80486DX2-66MHzとかいうのが搭載されていたけれど、 そのうちIntelDX4ODP-100MHzに載せ変えることになる。
草の根ネット(BBS)は、相も変わらず実家に帰ったときにもPC-9801UV2を使ってやっていた。わざわざそのためにFD上に通信環境作ってさ。
どうしても、思い出せないんだ。モデム。
microcom V34.ES IIなんだけれどな。いつ買った物やら・・・
Windows95発売の年であり、このときの私は、買っていない(苦笑)。変化に対して鈍感というか、保守的というか。
にもかかわらず、Windows95アプリのアイコン書かされたりもした。楽しかったが(笑)。
いつのまにやらAs3はSCSI2ボードやら外付け1GHDDやらがついていた。
Windows95Update購入。確かこの年・・・だったと思うのだが、あやふやだ。
Delphi2.0Standardも買ったように思う。1.0のときユーザー登録を忘れていて、定価で買った記憶がある。馬鹿だ。
この年だったと思うが、重大なことが起こる。ねじろ・・・じゃねぇや、いつも行っている草の根ネットが閉鎖。 そのネットの人の一部が集まり、インターネット上にメーリングリストを開設。ちょっと遅れて私のインターネット生活も始まる。
なんてゆーかWindows95を買うタイミングとかばっちりなのな。びっくりだ。
で、閉鎖したネットのコンピュータ(PC-9801BX)とかそのままもらってきて、ありかきらきら・・・じゃなくて、 日本甘党総本部本家本元本舗連絡所っていうネットを開く。そして数ヶ月で閉鎖(苦笑)。 機材のほとんどをネットでできた友人へ引き渡す。その友人もGRCNなるネットを開くも、・・・なんてゆーか いろんな事情により現在は閉鎖されている。
どうしても、思い出せないんだ。As3につっこんだEthernetカード。
つなぐコンピュータもないのに、無駄に刺さっていた記憶がある。
LMCのチケットを書き始めた年。そう考えると、あまり経ってないんだな。
この年はあれだ、マック。事実上只。スキャナなどを購入し、お絵かき環境となっている。
Phosothop5.0購入。
いいかげんAs3ではつらくなったというのもあり、PC/AT機購入。友人ブランド(つまりお手製)。 私はハードウェアに関してはほぼ素人なので、やりたいことを言って、作ってもらった。
Delphi4.0Pro購入。今回はちゃんとユーザー登録していたぞ。Delphi3は買っていない。一太郎はずっと 買っていた。一太郎5、一太郎6.3、一太郎7、一太郎8、一太郎Lite、JustOffice9。絶妙に 一太郎Office8が抜けているのは、As3では一太郎を満足に使えないと自覚したからだ。だから、Liteを買ったのだが MarchではJustOffice9が余裕で動かせる事実に動揺、つい、買う。
もともと「絵を描きたく、プログラムを作りたい」という要望を満たすためだけに作ってもらったコンピュータだ。 というわけで、アドビパブリッシングコレクション購入予定(連絡待ち)。
MarchはPentiumII 450MHz、256MBメモリ、6GBハードディスク、UltraSCSI、USB、Ethernet100/10とかいろいろ。 OSはWindows98。ついでにExcel97も購入。いや、会社で使っていて、便利だなぁとか思ったから私も欲しくなった。
なんてゆーか、IntelDX4-100MHzからの差は歴然としていて、またもや技術の進歩に感動している。
As3に無駄に刺さっていたEthenetカードが、めでたく活躍した。
adobe Publishing Collection購入。
Inprise Delphi5.0J Pro購入。
スキャナNEC MultiReader 600U2購入。マックは、一セット丸ごと(マック本体、スキャナ、MOドライブ)里子に出した。
一太郎10購入。プリンタEPSON PM-3000C購入。MJ-810Cは里子に出した。
パソコン環境、後はモデムを買うと、世代交代完了ってなるんだろうか(汗)。
CD-ROMドライブはずしてDVD-ROMドライブとりつけ。PIONEERのDVD-103ってやつ。
PC-9821As3を里子に出した。もらってくださる方が居るのはうれしいもんだな。 ちなみに、マニアな方ではない。
それに伴い、モデム購入。omron ME5614D/Eとかいうの。
adobe Photoshop5.5
シャープ・メビウス・ムラマサ。超薄型ノートパソコン。
DoCoMo P-In Conp@ct
なんだか沢山ソフトを買っている。
DDI Pocket AirH"購入、P-In Conp@ct解約
Octo組み上げ。筐体はShuttle SS51G X PCとかいうやつです。キューブ型でちっちゃくてかわいい感じ。 CPUのところにヒートパイプなんてものがついていて、熱を逃がす仕組みのようです。 CPUはPentium4 2GHz。400MHz系のシステムバス周波数です。533MHz系も動作するマザーボードのようですが、 だからといって2.8GHzにするのは怖いです。ヒートパイプがどの程度効くのかわからないし。 メモリはPC266っていうのでいいのかな。それの512MBが二つ。 333とかいうのまでいけるらしいのですがこれも安全策を採って。 AGPはELSA WINNER 4 200NVS。いずれディスプレイ二つにします。 ハードディスクは適当に60GB。液体軸受け。 OSはWindows XP Pro。CDドライブが要りますね、これはリコーのMP5125A。 DVD+RW/+Rとかかいてあります。
ソフト。
Marchの残骸で手元に残したのはハードディスクとキーボードとマウスとディスプレイ。
WACOM Cintiq 15導入。TFT液晶付きペンタブレット。 これでめでたくディスプレイ二つの環境になった。
NEC LaVieG Type TB。キーボードのついていない、タブレットPC。購入直後に交換したりとか有ったな。
こいつのためにだけMicrosoft Office XP Personal購入。
九月頃、Octo(2002年作成)がぐずり始めました。
グラフィックとCPUは進化していませんが。他、ハード周りが結構変わっています。